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2017.08.08 対談/インタビュー

QxLTalk「イノヴェイションの曲がり角」

若林恵・WIRED日本版 編集長/ 
北川竜也・三越伊勢丹ホールディングス/
出井伸之・クオンタムリープ・ファウンダー兼CEO/ 

技術とどう向き合うか

テクノロジーは、“人の生活を豊かにする”と信じられてきました。イノヴェイションを起こすべく、人々は新しいものを創り続け進化してきましたが、その一方で、テクノロジーは、世の中に格差をつくり弱者を生み出す、高リスクなものにもなっていきました。本来であれば定義や状況をよく理解した上で共に進化すべきだったのです。しかし人は、テクノロジーが身近にある豊かな理想の生活を急速に手に入れたため、大切なことを置き去りにしたまま革新を続けているのです。

期待どおりに進んでいないデジタルとリアルの差とは何か

デジタルは、無限の空間の中にありあらゆることが一瞬で完結します。しかし私たちが存在しているのはリアルの世界にありそこには時が流れています。デジタルとリアルでは、スピードのズレが生じるのです。トランザクションが増加してもリアルのロジスティックが追い付いていかなければ、対応できずどうにもならなくなってしまいます。このような“ズレ”はあらゆるところで起きています。
では、私たちはどう対応していくべきなのでしょうか。
例えば、音楽の世界では、アナログのレコードからデジタルに移行し配信になった技術の歴史があります。しかし近年、リアルでのよい音を求める体験としてフェスが流行りましたが、それも現在は飽和状態です。リアル、リアルとみんな言いますが、もともとCDなどで聴くことそのものがリアルな体験でもあったのです。それなのにその行為が、どう、私たちにとって「リアル」だったのかが検証されないまま、ただライブだけがリアルなものと捉えられてしまっているのです。これは相当雑な話のように思えます。
メディアにしても同じで、例えば雑誌とウエブとで同じ内容の記事を載せたとしても、体験は全く違うのです。それなのにどのように違うのか、実際、誰も定義できていないのが実情です。紙で記事を読んでいる時に脳では何が起きているか、同じ記事をwebで読んだ時とどう違うのか、そういったことがきちんと検証されていません。デジタルになり何がどう変わったのかを理解しておかないとリアルとバーチャルの違いは到底わからないのですが、イノヴェイションの速度についていけず大切なはずの定義が表層的なものにとどまっている気がします。フィジカルでのリアリティがどういうものなのか、リアルな体験とは何なのかを、私たちはきちんと検証し理解した上で、ズレに対する予測と、ズレの少ないデジタル化を考えるべきなのでしょう。

曲がり角とは、いつだったのか

今年のSXSW(サウス・バイ・サウス・ウエスト)で一番の話題になったのは、デジタルプラットフォームは世の中をよくしグローバルでボーダレスな世の中に向かうと、イノベーションを推進し続けてきたにも関わらず、アメリカ大統領選挙の結果がトランプの勝利だったことでした。つまり国民が知らぬまに分断されていっている状況を、テクノロジー、つまりはSNSやデジタルメディアが手を貸したのではないかという懐疑です。これは、テクノロジー側としては、非常に大きなショックだったのです。
蓋を開けてみれば、ごく一部の意識の高い人たちがテックイノベーションを支持していただけで、テックとグローバリズムの先にある世界を望んでいる人間が実はあまりいないという世論の表れでした。トランプの登場によって、デジタルとリアルの不整合やはざまで問題になっているあらゆることが次々と浮き彫りになっていきました。ですから、いまテクノロジーは猛烈なバックラッシュにあってると言えます。

データは創出のためのものではない

1990年代頃から、MBAの取得やマーケティングの重要性が取りざたされ、大量かつ効率的に売りにつながる手法を考えたものがビジネスにおいて優位な立場になっていったように思います。こうしたマーケティング手法は、おそらくデジタルときわめて相性がいいのです。デジタルテクノロジーの広がりによってあらゆるデータが詳細に取れるようになっていき、その膨大な情報を元に新しい企画やモノまでもがつくれられるようになっていきました。マーケティングデータに基づけばさらに売れるという迷いのない確信から、データ依存傾向が、企画の現場にまで浸食していくようになっていったのだと思います。
裏付けとなる市場動向データがあるほうが企画も断然通りやすくなり、そういったモノづくりが繰り返されてきました。しかし私たちはこのサイクルがもはや無意味であることに次第に気づいてきています。つまり、そうしたデータ主義は、多くの場合、思考停止の別名でしかなく、そこにはクリエイティビティも主体的な判断もないのです。端的に言うと、「売る」ための手法は、「作る」ための手法にはならない、ということなのだと思うのです。
私たちは、デジタルデータにある種の期待をし過ぎて、使う方向が間違っているのではないでしょうか。客観的な数字が出てくるため人を説得しやすく、ポイントがずれていることに気が付かずに何となくデジタルという波に流されてしまったのです。
ニュースメディアは、PV数を伸ばすために存在しているわけではなく、WEBメディアはECサイトとは本来的な存在意義も異なっているので、ECサイトと同じ構造、手法、指標で定義されては困ったことになってしまいます。ニュースメディアは「店舗」ではないですし、その意味で、記事は「商品」ではないですから。間違ったロジックに基づいた間違った指標KPIを重要視していくと、記事の中身が嘘でもどうでもよくなり結局フェイクニュースになっていきます。これはメディアの倫理の話ではなく、ビジネス構造上の問題なんですね。

デジタル化という病にかかっている

【出井】
日本社会は、デジタル化になりむしろ退化しているのでは

【若林氏】
そうですね。日本は、デジタル化を複雑に捉え過ぎて肝心なことが後退しています。複雑さばかりが増し仕事量が圧倒的に増加しています。Webメディアは常に情報の更新が必須で、人員を増加しているのにも関わらず作業が増え休めない状況がずっと続いています。デジタルのおかげで仕事が効率化され楽になるはずだったのに、事態としてはまったく逆ですね。実際、アナログのメディアとデジタルメディアを比べたら、アナログの方がどうやら利益率は圧倒的に良さそうです。

【北川氏】
アナログの使い勝手と最先端のデジタルを混在させたら、いい方向に向かうと信じてきたのに、実はそうでもなかったということですか。

【若林氏】
アナログの世界を簡単にデジタルに置き換えられると考えてしまったのが、そもそもの問題だったのかもしれませんね。あるいは、デジタルテクノロジーは、デジタル化しやすい分野だけを一気に置き換えていったけれど、困難な領域だけ取り残されてそこが大きな歪みを生み出していると言う感じでしょうか。物流みたいな領域で現れている問題は、まさにデジタルとアナログの世界が衝突し、摩擦を起している最前線なのではないでしょうか。

【出井】
例えばわかりやすく、百貨店は、歴史からも御用聞きから始まりました。人と人の信頼関係を出発点にできあがってきたものです。ユーザーメリット第一に考えると、デジタルで何かをするということに重きを置くより、リアルの店舗で販売するという根本をもっと考えていかなければならないのではないか、ということですね。デジタル化が優先になりさらにインバウンドの波が押し寄せ、もともとの顧客が信頼でき余裕をもって買い物できていた心のゆとりの場が壊されてしまったのではないでしょうか。

【北川氏】
我々も、人と人の商売であり信頼の重要度はもちろんわかっていますし再確認するケースは増えています。リアルの世界をさらによくすることを考え、そこにデジタルがどう適切に入るかを見極めなくてはならないと思います。

【出井】
そういったことから言うと、イノヴェイションの定義がそもそも間違っているのではないでしょうか。今までのものを全てデジタル化することがイノヴェイションではないですよね。

【若林氏】
デジタルテクノロジーがもたらすインパクトを、もちろん過小評価するわけにはいかないのですが、それを導入したからといって、即問題が解決するわけではないですし、デジタルテクノロジーを導入したから即儲かる、なんて話もないわけですよね。むしろ、自分たちが提供してきた「真の価値」が何だったのかを、もう一度再定義するいい機会だと考えるくらいでないと、その先、もないように感じます。

混在する未来に向けてのソリューションとは

これからの未来、デジタル空間と物理空間とがより一体化していくような世界において、私たちは何に重きを置かなければいけないかというと、やはり社会をよくするということだと思います。
物理空間は、物理空間の制限や限界もありますし、そもそもそれは非常に複雑な成り立ちをしているものです。SNSに国境はないですが、物理空間には国境がありますし、そこに生きる人は、どうしたって国籍というものに規定されてしまいます。SNSで世界中の友だちと繋がるからといって、そこから自由になれるわけではないわけです。急激に社会がデジタル化していくことで、こぼれ落ちていく物事は、たくさんあるという反省のなか、いま欧米では、より良いデジタル社会というものが、どうあるべきなのか、倫理、哲学的な部分から盛んに議論がなされています。
デジタル世界とフィジカル世界が両方リアリティだとして、その間で生じたずれをどう捉え考えていくのか、デジタルとフィジカルの関係について思考することが、まだ圧倒的に足りていないように思います。そのときに、単にビジネスの話でなく、文化、政治、法といった観点からも、包括的に社会を考えなくてはならないのだと思います。

<Quantum Leaps Corporation>

 

若林恵
WIRED日本版 編集長
1971年生まれ、ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学 第一文学部 フランス文学科卒業。
平凡社『月刊太陽』編集部を経て2000年に独立。以後、カルチャー雑誌で記事の編集執筆に携わるほか、書籍・天安会カタログの作画・編集も数多く手がける。2012年より現職。

北川竜也 
三越伊勢丹ホールディングス
早稲田大学卒業後、国連の活動を支援する NGO 、企業風土改革を行うスコラ・コンサルタントを経て 、クオンタムリ―プの創業参画し 大企業の新事業創出支援やベンチャー企業支援事業に従事。
その後アレックス株式会社の創業に参画。会社の運営と合わせ、日本のものづくりを世界に紹介、販売するEコマース事業を立ち上げた後、三越伊勢丹ホールディングスに入社。